物ばかりのブログ

読んだ本などの淡々とした記録

心を無にする大人のおもちゃ

レインボールーム (レインボールームジャパン正規輸入品)

レインボールーム (レインボールームジャパン正規輸入品)


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レインボールームというゴムを編むおもちゃが最高に楽しい。リリアンのようにスティックで編んでもよし、付属のボードで編んでもよし。いとも簡単にブレスレットができあがる。おしゃれプレスのお姉さんに教えてもらった無心なれるグッズ。

衆議院が解散しマスコミの皆さんは選挙で大忙し。ゆえに取材を入れてなんぼのPR業界にとっても苦しい時期の到来であり、仕事終わりには一旦きちんと心を入れ替えなければ負けを引きずってしまい、明日を強く生きていけないのである。明日を強く生きていくために、今日も私は編む。一本、また一本と。心を無にして、編む。

レインボールーム スターターキット

レインボールーム スターターキット

「そして父になる」は社会問題をテーマにしてない

そして父になる DVDスタンダード・エディション

6歳になるまで大切に育ててきた我が子が実は病院で取り違えられた他人の子だったという話。福山雅治は建設会社勤務、タワマン住まい、愛車は黒ピカのレクサスというエリートサラリーマン。息子の教育にも熱心で専業主婦の妻・尾野真千子もそんな夫に従順。一方、取り違えられた本当の子供が育っていた家は、リリーフランキー扮する田舎町の電気屋。暮らしぶりは決して豊かでなく妻・真木よう子は弁当屋でパートしている。子供の取り違えを起こした病院からの賠償金を期待し、目を輝かせる。

リリーフランキー一家は一見するときわめてゲスい。ショッピングモールのフードコートでの飲食費まで取り違えを起こした病院に請求しようとし、その権利を何の恥じらいもなく主張する様子にエリート福山が冷めた視線を向ける。

ところがゲスい一方で父リリーは3人の子供と体当たりで遊ぶ。ショッピンモールのプレイランドでも、バーベキュー場でも。絶えず椅子に座りクールなスタイルを崩さないエリート福山とは対照的に、子供と一緒になって遊ぶ。父親として大切なことをエリート福山に説くシーンもある。

特にこの辺り描写、非常にリアルに感じられた。キャーキャー言いながら遊ぶ子供たちとリリー父をよそに座ったまま岩のように動かない福山が、あとはスマホさえ見ていたら描写として完璧だった。

リリー家は、いわゆるマイルドヤンキーである。人としての品格って何なのかと、意識高いエリート層はときに彼らの振る舞いに疑問を持つ。一方で、生産性や効率を重要視しない、もしくは独特の価値観を持っているが故に子供と時間を過ごすことを厭わない、そんな彼らの親子の絆は、とても強いように思われる。川辺にバーベキューに繰り出し、壊れたラジコンをハンダ付けして治す。体験で学ばせる。

エリート福山の育ててきた子供が両親のいかなる教えをも疑問を持たずに迎合したのに対し、福山家に迎えられたリリー家の息子が初日から「なんで?なんで?」を連発するシーンなんか特に印象的だった。体験で学んでいる子供は疑問を持つし、それを素直に口にする。

結局のところこの映画は、取り違えに端を発してはいるが、一般的な父親としてのあり方について問題提議している。観客もそして福山も、最初は血の繋がり、生みの親、育ての親問題にどう決着をつけるのかに気を取られているが、話が進むにつれて段々と問題はそこにないことに気付く。2つの対照的な家族が出会い、大きな決断を重ねていく中で、一見申し分のない父親である福山父が抱えていた幼少期のカルマや、課題に対峙していく。ラストがあのシーンで終わっていることからも明白であるし、何より「そして父になる」というタイトルが物語っている。とてもよく練られた映画だ。

「品格を持って生きたい」「泥臭く育てられた子供の生きる力半端ないな」というジレンマを日常的に抱きながら生きている私のような人はぜひ観た方がいい。


全ては性の肥やし。巻き込み型セックスのバイブル「罪に濡れたふたり」

罪に濡れたふたり 文庫版 コミック 全9巻完結セット (小学館文庫)

姉と弟の愛の物語。

10巻以降、これを言ったら傷つけるから言わないで消えようというお決まりのパターンを執拗になぞる。くどいしさすがに失敗から学ばな過ぎだろうとツッコミながら読み進めるうちにはたと気づく。このひとたちは好きでやってるんだ…!と。次々と生じる不幸(寝取り、寝取られ、ときには友人の死をも)全て弟との禁じられたセックスの肥やしとして余すところなく堪能し尽くす。周囲を巻き込み、振り回し、その結果向けられる怨念を、さながら元気を集める孫悟空のようにみんなから集めて都度セックスで大放出。

だらだらとくっついたり別れたり繰り返させておけば読者はついてくるだろうという作者の安易な思惑かとおもいきやその実、底なしに性欲が強いと人間どこまでもタフかつ独善的でいられるという罪について巧みに描かれていた。

障害者による犯罪を追ったルポタージュ「累犯障害者」


累犯障害者

人類における知的障害者出生率は、全体のニ%から三%といわれている。だが四十五万九一〇〇〇人だと、我が国総人口の〇.三六%にしかならない。〔略〕「日本人には知的障害者が生まれにくい」という医学的データは、どこにもない。要するに四十五万九一〇〇〇人というのは、障害者手帳所持者の数なのである。現在、なんとか福祉行政とぬながっている人たちの数に過ぎない。
犯罪被害者となる障害者ではなく、犯罪者となり刑務所に入る障害者に焦点をあて、現在の福祉行政の穴を浮き彫りにする。自らも服役経験のある著者によるルポタージュ。

驚いたことに、ろうあ者間で用いられる手話は、一般的に聴者が学び用いるものとは全く異なっているのだそうだ。なぜなら聴者が作り上げた手話には口語や五十音を前提とした聴者の合理性があるばかりで、生まれながらに耳が聞こえない人にとってそれは必ずしも合理的ではないから。日常的に使う言葉の構造が違うのだから、同じ日本という国にいながら見えている世界も全く異なっている。同じ1人の人を聴者とろうあ者が描写するとき、前者は「あの人は大人しく地味な人」と表し、後者は「あの人はおてんばで派手な人」と表する、そんなことも実際にあるのだそうだ。

障害者であろうがなかろうが被害者がいる以上、犯罪を犯した者は裁かれるべきと思う一方で、刑務所の中を安息の地と思う人、出所後に何度も犯罪を繰り返し、望んで刑務所に戻ってくる人、あるいは出所後の生活に苦悩し自殺を選ぶような人がいる現状にはやはり問題があると思う。

あ、うん

あ・うん (文春文庫)

図書館で1時間ちょっと待ち時間があったのでcakesの加藤さんのnoteを拝見して以来読みたいと思っていたこれを読んだ。時間がなくて本日は前半のみ。


ハウアーユーからの流れで、図らずも男性に翻弄される女性の悲哀に触れ続けている。そういう状況下でこそ輝いて見える女性らしさもあるのだろうし、物語も生まれるのだろうと思う。一方で、もっとのびやかに生きたいものだなと思うな、私は。