物ばかりのブログ

読んだ本などの淡々とした記録

「そして父になる」は社会問題をテーマにしてない

そして父になる DVDスタンダード・エディション

6歳になるまで大切に育ててきた我が子が実は病院で取り違えられた他人の子だったという話。福山雅治は建設会社勤務、タワマン住まい、愛車は黒ピカのレクサスというエリートサラリーマン。息子の教育にも熱心で専業主婦の妻・尾野真千子もそんな夫に従順。一方、取り違えられた本当の子供が育っていた家は、リリーフランキー扮する田舎町の電気屋。暮らしぶりは決して豊かでなく妻・真木よう子は弁当屋でパートしている。子供の取り違えを起こした病院からの賠償金を期待し、目を輝かせる。

リリーフランキー一家は一見するときわめてゲスい。ショッピングモールのフードコートでの飲食費まで取り違えを起こした病院に請求しようとし、その権利を何の恥じらいもなく主張する様子にエリート福山が冷めた視線を向ける。

ところがゲスい一方で父リリーは3人の子供と体当たりで遊ぶ。ショッピンモールのプレイランドでも、バーベキュー場でも。絶えず椅子に座りクールなスタイルを崩さないエリート福山とは対照的に、子供と一緒になって遊ぶ。父親として大切なことをエリート福山に説くシーンもある。

特にこの辺り描写、非常にリアルに感じられた。キャーキャー言いながら遊ぶ子供たちとリリー父をよそに座ったまま岩のように動かない福山が、あとはスマホさえ見ていたら描写として完璧だった。

リリー家は、いわゆるマイルドヤンキーである。人としての品格って何なのかと、意識高いエリート層はときに彼らの振る舞いに疑問を持つ。一方で、生産性や効率を重要視しない、もしくは独特の価値観を持っているが故に子供と時間を過ごすことを厭わない、そんな彼らの親子の絆は、とても強いように思われる。川辺にバーベキューに繰り出し、壊れたラジコンをハンダ付けして治す。体験で学ばせる。

エリート福山の育ててきた子供が両親のいかなる教えをも疑問を持たずに迎合したのに対し、福山家に迎えられたリリー家の息子が初日から「なんで?なんで?」を連発するシーンなんか特に印象的だった。体験で学んでいる子供は疑問を持つし、それを素直に口にする。

結局のところこの映画は、取り違えに端を発してはいるが、一般的な父親としてのあり方について問題提議している。観客もそして福山も、最初は血の繋がり、生みの親、育ての親問題にどう決着をつけるのかに気を取られているが、話が進むにつれて段々と問題はそこにないことに気付く。2つの対照的な家族が出会い、大きな決断を重ねていく中で、一見申し分のない父親である福山父が抱えていた幼少期のカルマや、課題に対峙していく。ラストがあのシーンで終わっていることからも明白であるし、何より「そして父になる」というタイトルが物語っている。とてもよく練られた映画だ。

「品格を持って生きたい」「泥臭く育てられた子供の生きる力半端ないな」というジレンマを日常的に抱きながら生きている私のような人はぜひ観た方がいい。